公園を散歩しながら考えた

 

木が、木が、切られてしまった。

 

 

先日の台風で、岡の上の公園の木は海から吹き上げた風をまともに受けて、大きな亀裂が入っていた。

私は毎朝の散歩でこの木に声をかけて、応援していたのだけれど。

他にもあった傷ついた木と一緒にこの木も切ることを、公園管理者は決めたようだった。

 

悲しくて触ってみたけど、木はまだ生きていた。

傍らで彼岸花が咲いていた。

自然は美しい。けど、厳しい( ;∀;)

 

 

夏の暑い日、アスファルトの照り返しは本当に耐え難い暑さだったけど、

木や葉や芝がある公園は涼風が吹き、水分がある分温度が若干低かった。

温暖化や暑さ対策に、木を植えればいいのにと思う。

木を切ったら植えてほしい。

自然と共存する道がほしい。

 

↑大きくて気持ちのよい木々が好きです

↑鳥のさえずり、虫の声、リスも猫も、お散歩中の犬にも挨拶

↑毎朝木の下でストレッチ、お友達の木もいます

↑こんな可愛い子に会えるのも私の朝の散歩の喜びと癒し♡

 

暴風雨を受けようとも、大きな亀裂が入ろうとも、生きようとしていた木。

頑張ろうと思えばもっと頑張れたかもしれない木に自分を投影するから、「生」に執着し、痛みを感じるのかもしれない。

生きること=頑張ること、とわたしは無意識に思っているのかもしれない。

 

「もう頑張らなくていい」と自分や他人に言ってあげること、

「頑張らなければ生きれない」という思い込みを断ち切ること、

切られた木はそこに存在し続けるし、その木に触れて多くの人が心配し惜しんでいる。つまり切られてなお愛されている木を知ること、

そして自分の古い視点(思い込み)を、まさに切る、一刀両断する力。

 

そんなものたちが、今のわたしが世界から見せられているメッセージなのかもしれない。